「役者放棄計画~別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲」

 

カンフェス演劇関ヶ原 芸術部門17位のイーアイオーが贈るラブストーリー・・・ だったはず・・・

 

 これはフィクション? ノンフィクション?

 妄想なの?悪夢なの?

 もうどうしていいのかわからない!

 

 「別れの曲」

 春はもうそろそろ終わりにも感じますが、春といえば恋愛を思い浮かべます。別れの曲はドラマチックな美しい恋愛ものです。私にとって初めて書いた会話劇です。

  何かをやる時、うまく人とやっていける人ばかりではなく、中には不器用な人もいます。なんとなくすれ違っていき、遠のいてしまうこともあります。うまくいかないのに、それでも強がって生きている人が大きな愛にふれたらどうなるのでしょう?

 

 「役者放棄計画」

 ようやく書き上げた「別れの曲」

 ところが肝心の役者が集まりません。

 迫ってくる上演日。

 しだいに追い詰められる作者。

 「別れの曲」は無事上演できるのでしょうか?

 

「役者暴走計画」

 ようやく集まった役者

 ところが暴走し始めて・・・

 「別れの曲」の運命は?

 

別れの曲がどうなったのかはぜひ623日人間座スタジオで!

 

イーアイオー 「役者放棄計画~別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲」 C.T.T  Kyoto vol. 119 で上演決定

 C.T.T  Kyoto vol. 119

◯日時 2018年 62日(土)19:00開演 63日(日)15:00開演 開場は開演の20分前

 ◯上演協力金 900

 ◯会場 人間座スタジオ 

 

 ◯予約・問い合わせ先 info@ctt.main.jp  090-9254-6295(公演当日のみ)

 

パンフレットより

 

C.T.T.kyoto vol.119参加

 

 

イーアイオー

 

『役者放棄計画~別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲』

 

これは妄想なの? それとも悪夢なの?

  これはフィクションなの? それともノンフィクションなの?

もうどうしていいのかわからない!

 

 

畑中良太 はるか Yumi 小倉笑

 

 

C.T.T.kyoto vol.119

 

2018
6
2日(土)19:00開演 
6
3日(日)15:00開演

 

◯会場

 

人間座スタジオ

 

 

『役者放棄計画~別れの曲』

原曲 フレデリック・フランソワ・ショパン「別れの曲」  声 : 小倉笑

『役者暴走計画~別れの曲』

演出・出演 : 畑中良太 はるか

 

企画・作 : Yumi

  撮影 :  奥田ケン

 

 

 

 

企画について

 「別れの曲」を上演するのに集まってくれたメンバーは作者を含めて経験が浅いです。ですがワークショップ公演ではありません。旅行会社が企画したツアーではなく、よくわかっていない友人同士が時に迷いながらも何とかしていく初めての旅行のような感じかもしれません。

「別れの曲」も戯曲として未熟かもしれません。未熟な私たちが試行錯誤しながら未熟な戯曲を舞台に上げていくこと、戸惑いながらも助け合っていくプロセスも作品の一部なのかもしれません。

Yumi

 

別れの曲

別れの曲はドラマチックな美しい恋愛ものです。私にとって初めて書いた会話劇です。

何かをやる時、うまく人とやっていける人ばかりではなく不器用な人もいます。人となんとなくすれ違っていき、遠のいてしまうこともあります。

うまくいかないのに、それでも強がって生きている人がふとしたことで大きな愛にふれたらどうなるのでしょう?

 

役者放棄計画とは?

 役者放棄計画で決まっているのは上演日と上演脚本だけです。役者は集まるのでしょうか?何人集まるのでしょうか?

それによって上演内容が変わります。

 

役者暴走計画とは?

やっと集まった役者。喜ぶ作者。ところがもっと面白くしようとしたら役者が暴走し始め・・。

人は環境の影響も大きく受けるように思えます。

作者の手を離れ、様々な出会いや環境で作品がどのようになっていくのでしょうか?

役者暴走計画では脚本を自由に解釈し演出してもらいました。

 

 

イーアイオー

演劇・ダンスなどジャンルにこだわらず小品を作っています。

劇団やダンスカンパニーではなく、個人でもない自由なグループを模索中。

 

ホームページ  https://everything-is-ok.jimdo.com/

 

 

ごあいさつ

人は完全ではないのかもしれません。少なくとも私は間違いもするし、迷いや不安もあります。この「別れの曲」も完全ではないような気がします。私もこの作品も人と出会い関わることで少しずつ変わるようです。 今回、はるかさんと畑中さんに「別れの曲」の演出と出演をお願いしました。「別れの曲」がどんなふうになっていくのか楽しみです。

                                                                                                           Yumi

 

創作の狭間から

人間って意識と無意識の間に宙吊りにされているのではないのか、という予感が私の中にあります。

少し大げさな表現になりますが、無意識に振り回されて操られ続けている、という側面と、無意識を意識の方へ持っていこうとする、という意志力とがぶつかり合って、常に見えないものと戦い続けているのが人間ではないか、という感じがするのです。まあ、戦いというほど激しい感じでもないかもしれないですけど、無意識というものを、正気を保ったまま深海の底ぐらいまで見尽くす、というのが私の夢です。

さて、今回の作品は、気づいたらこうなっていたという感じで、緻密に作り上げるつもりが、こんな形になっていました、です。東京に行くつもりだったけど、気づいたらエジプトでラーメンを啜っていた、というイメージです。

どうなるのか、神様にも分かりません。ラーメン。

                                 はたなか 

 

 決まっているのは言葉数少ない「別れの曲」というタイトルの台本だけ。 「どうすればいいのかわからない。」私たちはそこからスタートしました。

その場で出てくる言葉を並べたり、動きを探したり、繰り返したり・・・  

決まったことはほとんどなく、公演当日に何が生まれているかも予想がつきません。台本にあるセリフも使ったり使わなかったり。

さて、いまだにどうすればいいのかわからない私たち。 どうなっていくのでしょうか・・・   何が生まれるのか、楽しみです。

はるか 

 

プロフィール

Yumi

存在すること生きることなどをどこかに思い演劇・ダンスなどのジャンルにこだわらす探求中

2016年『演出放棄計画』企画

2016年『大地~巡る生』作/演出/出演

2017 M.M.S.T SUMMER PROGRAM 『瑠璃のようなもの』出演 (演出 田辺 剛)

 

 

 

 畑中良太

京都造形芸術大学在学中 大学入学後19歳の時からダンスを始める。 太極拳を身体作りの基礎として、宇宙とかなんか訳の分からん物と関りながら踊り続けたい。

 

はるか

2017年から踊りはじめる。 単発ながら、いくつかのワークショップに参加しつつ、少しずつ自分の身体に挑戦中

 

小倉笑

 11歳の時に声楽を学び、14歳の時に地元で開催された「オーケストラで踊ろう!」プロジェクトに参加しMonochromeCircus  と出会う。カンパニーには2012年「レミング」より参加。個人での活動も多く、大植慎太郎「点とドットの主義主張」(2015年)南野詩恵「病気」(2016年)康本雅子「子ら子ら」(20172018年)などに出演。一昨年から衣装作家、南野詩恵と立ち上げたプロジェクト「皿の歌」を随時活動中。

11月

「役者暴走計画~別れの曲」

TRIALにて試演

12

 

 1月開催が困難となり23月に延期


 

2月の「役者暴走計画~別れの曲」

 

スケジュール調整ができずお稽古なし。

120

C.T.Tに向けて「役者暴走計画~別れの曲」お稽古

120

「役者暴走計画~別れの曲」

C.T.Tに向けてお稽古


 

 

3月の上演困難となり再度上演延期

 

3月

「役者暴走計画~別れの曲」 

スケジュール調整ができずお稽古なし。

 

 

 2018年3月27日

「役者放棄計画~別れの曲」リサーチ

桜が咲いていました。

 327

府中駅。この先はローカル線になります。


『役者放棄計画~別れの曲』の

土台作りのリサーチワーク

 

327

車窓から。

府中を過ぎると山の中に入っていきます。

327

三次駅到着

高速バスターミナルもあり、わりと大きいです。ですが夜間ということもあり、人は少ないです。広い駅前にたたずんでみました。


327

地域の料理をいただきます。

ワニ刺身とワニ皮ポン酢です。

327

三次風辛焼きそば

地域の料理をいただくのも大切な作業です。

327

三次市の夜景

人々の営みを思います。


328

昨夜の夜景を、同じところで朝に見ました。

 328

お米屋さん。近年お米のありかたも変わりつつあるのでしょうか。

328日 

酒屋・薬局

酒は百薬の長


 328

2つの川が流れてきてひとつになり流れていきます。

328

三次 馬洗川

誰もいません。


328

照林坊 

328日照林坊 

鐘はどんな音でなるのでしょう?

 328日ミュージアムみたいです。


2018年3月28日

辻村寿三郎人形館

 

 一部が表れている昔の堤防

神楽の道を進んでいきます。

途中の長谷駅はホームに穴が開いた状態でした。果てていく長谷駅にも思いをよせます。

 


船佐 悪狐伝

全線開通は1975年だったそうです。開通を待ち望んだ人々もいたでしょう。

  式敷駅 滝夜叉姫

三江線は1930年代から建設が始まったそうです。

神楽の道かつては文化の伝承のルート。

今は時代の流れ、社会の変化などで通る人も少ないようです。


328

 神楽の道

328

かつての神楽の道

 

 

石見松原 戻り橋


沢谷 猿丸太夫

浜原駅

かつてのホームのなごり。

現在は線路が撤去されていました。

川本駅


開発されたご当地メニュー

地域を盛り上げようとしています。

鹿賀駅

たたずむ桜。華やかな雰囲気ではないけど、しっかり咲いています。

大元神楽資料館に行きます。

小さな資料館ですが地道に受け継ぐ人々の存在が見えてきます。


328

 

 

328

唐揚げです。小骨が多く食べにくかったけど、おいしく頂きました。

3月29日

江津 山根甘泉堂


4月

C.T.T.vol.119がついに開催決定!

 「役者放棄計画~別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲」で上演します。待ちに待った日。

4月12日 

『役者放棄計画~別れの曲』

お稽古再開

誰もいない稽古場

4月 

「役者放棄計画~別れの曲 役者暴走計画~別れの曲」 広報開始

 仮チラシの作成及び配布

C.T.T.事務局との打ち合わせ


4月30

「役者放棄計画~別れの曲」

 誰もいない稽古場

53

「役者放棄計画~別れの曲」

 誰もいない稽古場

5月4日

「役者放棄計画~別れの曲」

 誰もいない稽古場


5月3日

「役者放棄計画~別れの曲」

誰もいない稽古場

5月4日

「役者放棄計画~別れの曲」

誰もいない稽古場

 

C.T.T事務局との打ち合わせ

 

劇場図面での確認など。

 


5月9日

「役者放棄計画~別れの曲」

 

誰もいない稽古場

5月10日

 『役者放棄計画~別れの曲』

 音だし練習

 問題発生。スピーカーケーブルの紛失。

5月11日

「役者放棄計画~別れの曲」

 

誰もいない稽古場


5月13日

大事な日です。

「役者放棄計画~別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲」 最初で最後の通し稽古 

最初から終わりまで順番通りに最後までノンストップでやります。

 

そんな日にアクシデント

メンバーの一人が交通機関トラブルで駅と駅の間で足止め! 無事に稽古場にたどり着けるように祈る他のメンバー。

無事、通し稽古はできるのでしょうか?

 

メンバーがそろうまでワーク。

ボール投げなどのシアターゲームと身体のワーク。少しずつ取り戻していく感覚。

 

『役者暴走計画~別れの曲』稽古風景


 

 

英 衿子さん稽古場レポート(ハナさくラボ)

 

5/13、日曜日。けっこうな雨。出町柳。イーアイオーさんのお稽古に、お邪魔しました。

 

作演出のYumiさんとは、とくにここ1年ほど、私の行くところ行くところで顔を合わせていました。KAIKAで、芸術創造館で、コモンカフェで、そしてウイングフィールドのディレクターズワークショップでは同じチームで一つの演劇作品を見届けるという。こんなに同じ場所に現れるというのは、その時持っている課題というものが、きっと自分と似ているのだろうと思います。似ている人というのは自分を写す鏡でもあって、Yumiさんの創作にかける真面目さを見るにつけ、自分も頑張らなくてはと心奮い立たせておりました。

 

さて、Yumiさんは熱意とは裏腹、いつもお会いするたびに「人がいない」「企画が流れていつになるかわからない」などの災難エピソードの数々を淡々とした口調でおぼやきになります。Yumiさん渾身の企画を見ることができるのはいつの日かと思っていましたところ、ついに!この6月にようやく企画実現、そして私に通し稽古の見学をさせていただけるとのこと。

 

最近は少しお休みしてしまっていますが、昨年、「自分の見た作品を流してしまわず感じたことを言語化しておくべし」と殊勝なことを考えた私は、人脈少ないツイッターにて観劇の感想をつぶやいておりました。まあこれは自分のメモのためだし、人に見せるためのものでもないし、と、細々と続けていたところ。それをYumiさんが見てくださっていたのです。しっかり感想を書いているから、イーアイオー作品についても、レポートのようなものを書いてくれたらとのお申し出。そんなふうに見てくださっていたとは!驚き、少しお恥ずかしくもあり、でもじわじわと嬉しさ込み上げる出来事。光栄です。本番三週間前の通し稽古を、早速拝見でございます。

 

作品は、短編2本だて。1人パフォーマンスと、2人パフォーマンス。Yumiさんのこだわりと熱意とリアルな嘆きぼやきが不思議に詰まっています。申し遅れましたが、これ「演劇」ではありません。「演劇とダンスと即興パフォーマンスと漫談を少しずつ取ってきた現代アート」です。「自分そんなに演劇を深々とやってないし、なんなら素人だし」と自認していた私も「ああ、私、演劇という霞で目が曇ってる」と思ってしまいました。なんでも、「作品」にしようという、心意気。それは、「演劇という誰かがひいた線路なんてたどってやらんぞてやんでえ」ぐらいのものがないと、出せません。(あんなにワークショップを果敢に受けているYumiさんが、そこを目指さずにすんでいるというのはある意味すごいなと思います。私は抜けようとするのがもう大変だ)

 

 

「私たちは経験は無いが、今の自分たちだからこそ表現できるものを出そうとしている」と話すYumiさん。それが自由というもので、勇気ある純粋。後半の、若い演者さんの作る即興芝居に、演劇という曇った眼の私は感銘を受けました。ああ、これ演劇やってるとできないパフォーマンスやん。当たり前だけど、演劇人って「演劇」しようとしてしまうから。演劇人が四苦八苦して「演劇」から自由になろうとしている壁をいとも簡単に超えていて。表現って、引き出しを増やそうと追求すればするほどがんじがらめになる、自由に逆行してしまう罠がある。それも演劇に慣れない人からは格好良くて素敵なものかもしれないけど。やっぱり人は基本的にはより「自由」になりたくて、より「自分」になりたくて、表現するのではないかな。それが、見ていて面白いものにもなるのではないかな。そんなことを考えました。

 

5月14日

「役者放棄計画~別れの曲」

 誰もいない稽古場

5月14日

「役者放棄計画~別れの曲」

 打合せ

行方不明のスピーカーケーブル探し。

5月16日

「役者放棄計画~別れの曲」

 誰もいない稽古場


5月17日

音響は用意にしていた方法では難しいことがわかりました。

スピーカーなど機材の打合せ。機材の知識のある人がスタッフになってくださり感謝。

21日 劇場下見

ようやく音響オペレーター確保。これで音が流せます。

自転車のカギ行方不明。

 

22日『役者放棄計画~別れの曲』 

屋外でのお稽古 誰も来ません。

来たのは蚊だけでした。

資料などを入れたUSBメモリー行方不明


5月23日 

 『役者放棄計画~別れの曲』

録音の日

 

5月24日

 『役者放棄計画~別れの曲』

撮影のためのカメラテスト

いろいろと大変で隠れたくなりました。

5月25日

 『役者放棄計画~別れの曲』

うまくいかなくて

稽古場から逃亡したい気分。


 

Yumi「どこに行ってたの?」

USBメモリー「え?」

Yumi「もう~、探したのだから」

USBメモリー「私はどこにも行かないよ。あなたが私を置いてどこかに行っちゃったんだから。」

Yumi「・・・」

Yumi笑ってごまかす。

 

 

5月26日

『役者放棄計画~別れの曲』

 誰もいない稽古場。

感じをつかむため屋外でのお稽古のはず・・・。

5月27日

 『役者放棄計画~別れの曲』

誰もいません。今度も来たのは蚊だけでした。台本投げだして逃亡。


5月28日

 『役者放棄計画~別れの曲』

誰もいない稽古場。

客席を簡単に組んでみてほぼ実寸に。

上演日はこのように誰もいないということになりませんように。

5月29日

当日パンフ作成

5月30日

 『役者放棄計画~別れの曲』

誰もいない稽古場。

たたずんで思いを巡らせます。


5月31日

 『役者放棄計画~別れの曲』

誰もいない稽古場。

畳で寝そべり思い描く世界。

6月1日

 『役者放棄計画~別れの曲』

誰もいない稽古場。

思わず天を見上げます。

6月2日

『役者暴走計画~別れの曲』

ウオーミングアップとワーク

 


上演させていただく人間座スタジオ

『役者放棄計画~別れの曲/役者暴走計画~別れの曲』

舞台


 

 

 

 

 

『役者放棄計画~別れの曲/役者暴走計画~別れの曲』

アフターミーィティング

 


 

パンフレットより

 

C.T.T.kyoto vol.119参加

 

イーアイオー

 

『役者放棄計画~別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲』

 

これは妄想なの? それとも悪夢なの?

  これはフィクションなの? それともノンフィクションなの?

もうどうしていいのかわからない!

 

 

畑中良太 はるか Yumi 小倉笑

 

 

C.T.T.kyoto vol.119

 

2018
6
2日(土)19:00開演 
6
3日(日)15:00開演

 

◯会場

 

人間座スタジオ

 

 

『役者放棄計画~別れの曲』

原曲 フレデリック・フランソワ・ショパン「別れの曲」  声  小倉笑

『役者暴走計画~別れの曲』

演出・出演  畑中良太 はるか

 

企画・作 : Yumi

撮影   奥田ケン

 

 

企画について

 「別れの曲」を上演するのに集まってくれたメンバーは作者を含めて経験が浅いです。ですがワークショップ公演ではありません。旅行会社が企画したツアーではなく、よくわかっていない友人同士が時に迷いながらも何とかしていく初めての旅行のような感じかもしれません。

「別れの曲」も戯曲として未熟かもしれません。未熟な私たちが試行錯誤しながら未熟な戯曲を舞台に上げていくこと、戸惑いながらも助け合っていくプロセスも作品の一部なのかもしれません。

Yumi

 

別れの曲

別れの曲はドラマチックな美しい恋愛ものです。私にとって初めて書いた会話劇です。

何かをやる時、うまく人とやっていける人ばかりではなく不器用な人もいます。人となんとなくすれ違っていき、遠のいてしまうこともあります。

うまくいかないのに、それでも強がって生きている人がふとしたことで大きな愛にふれたらどうなるのでしょう?

 

役者放棄計画とは?

 役者放棄計画で決まっているのは上演日と上演脚本だけです。役者は集まるのでしょうか?何人集まるのでしょうか?

それによって上演内容が変わります。

 

役者暴走計画とは?

やっと集まった役者。喜ぶ作者。ところがもっと面白くしようとしたら役者が暴走し始め・・。

人は環境の影響も大きく受けるように思えます。

作者の手を離れ、様々な出会いや環境で作品がどのようになっていくのでしょうか?

役者暴走計画では脚本を自由に解釈し演出してもらいました。

 

 

イーアイオー

演劇・ダンスなどジャンルにこだわらず小品を作っています。

劇団やダンスカンパニーではなく、個人でもない自由なグループを模索中。

 

ホームページ  https://everything-is-ok.jimdo.com/

 

 

 

ごあいさつ

人は完全ではないのかもしれません。少なくとも私は間違いもするし、迷いや不安もあります。この「別れの曲」も完全ではないような気がします。私もこの作品も人と出会い関わることで少しずつ変わるようです。 今回、はるかさんと畑中さんに「別れの曲」の演出と出演をお願いしました。「別れの曲」がどんなふうになっていくのか楽しみです。

                                                                                                           Yumi

 

創作の狭間から

人間って意識と無意識の間に宙吊りにされているのではないのか、という予感が私の中にあります。

少し大げさな表現になりますが、無意識に振り回されて操られ続けている、という側面と、無意識を意識の方へ持っていこうとする、という意志力とがぶつかり合って、常に見えないものと戦い続けているのが人間ではないか、という感じがするのです。まあ、戦いというほど激しい感じでもないかもしれないですけど、無意識というものを、正気を保ったまま深海の底ぐらいまで見尽くす、というのが私の夢です。

さて、今回の作品は、気づいたらこうなっていたという感じで、緻密に作り上げるつもりが、こんな形になっていました、です。東京に行くつもりだったけど、気づいたらエジプトでラーメンを啜っていた、というイメージです。

どうなるのか、神様にも分かりません。ラーメン。

                                 はたなか 

 

 決まっているのは言葉数少ない「別れの曲」というタイトルの台本だけ。 「どうすればいいのかわからない。」私たちはそこからスタートしました。

その場で出てくる言葉を並べたり、動きを探したり、繰り返したり・・・  

決まったことはほとんどなく、公演当日に何が生まれているかも予想がつきません。台本にあるセリフも使ったり使わなかったり。

さて、いまだにどうすればいいのかわからない私たち。 どうなっていくのでしょうか・・・   何が生まれるのか、楽しみです。

はるか 

 

プロフィール

Yumi

存在すること生きることなどをどこかに思い演劇・ダンスなどのジャンルにこだわらす探求中

2016年『演出放棄計画』企画

2016年『大地~巡る生』作/演出/出演

2017M.M.S.T SUMMER PROGRAM 『瑠璃のようなもの』出演 (演出 田辺 剛)

 

 

 

 畑中良太

京都造形芸術大学在学中 大学入学後19歳の時からダンスを始める。 太極拳を身体作りの基礎として、宇宙とかなんか訳の分からん物と関りながら踊り続けたい。

 

はるか

2017年から踊りはじめる。 単発ながら、いくつかのワークショップに参加しつつ、少しずつ自分の身体に挑戦中

 

小倉笑

 11歳の時に声楽を学び、14歳の時に地元で開催された「オーケストラで踊ろう!」プロジェクトに参加しMonochromeCircus  と出会う。カンパニーには2012年「レミング」より参加。個人での活動も多く、大植慎太郎「点とドットの主義主張」(2015年)南野詩恵「病気」(2016年)康本雅子「子ら子ら」(20172018年)などに出演。一昨年から衣装作家、南野詩恵と立ち上げたプロジェクト「皿の歌」を随時活動中。

 

 

『役者放棄計画~別れの曲  / 役者暴走計画~別れの曲』レポート

 

ミネナオカさんレポート

舞台とは、演劇とは、本来そこに参加したすべての人が一体感を持って本番に挑むべきものである。

作品の世界観を共有し、同じ船に乗ったつもりで本番に向け共に進んでいく。そのためには、計画的にスケジュールを合わせて稽古をする必要があるし、セリフや立ち振る舞い等を綿密に組み立てることが必須となる。息を合わせなければ、複数人で「作品」を作ることはできない。よって舞台を行うには、複数の人を、本番を行える状態になるまで一定期間確保できるということが大前提としてある。

では、人を集めることができない人間は舞台をすることができないのか。もしも人を確保することができなかったら、集まったとしても稽古時間を裂いてもらうことができなかったとしたら、今ここにある舞台のアイデアは手放してしまうしかないのか。前提を覆してでも舞台をやりたい。公演を打ちたい。たとえ役者を集められなかったとしても。そんな作者の熱い思いをもって実現したのが「役者放棄計画/役者暴走計画」という作品である。

 

前半「役者放棄計画」は、本番その日になるまで役者が集まるかどうかわからないままに上演日を迎えるという恐ろしい内容で、結果この日は役者が一人も集まらなかった。「役者集められませんでした!でもやります!」舞台上でそう語る作者の姿は生々しく、見ている者を不安にさせる。役者がいないので作者自身が一人芝居のような形でセリフを語り、ダンスを踊り、言葉にならない言葉を全身で表現しながら舞台の上に存在している。彼女自身の肉体からは隠しようのない素人感が表出され、それがさらにこの状況のリアルを生む。安心のないままに存在するその姿は、彼女の生き様そのものであるようにも感じられて胸が締め付けられるような思いになる。

そして後半「役者暴走計画」になると、舞台上には作者とは別の2人の役者が登場し「やっと集まった役者。ところがもっと面白くしようとして役者が暴走をし始める」という体で役者が完全即興の脈絡のない展開を繰り広げていく。「閃き」だけにここまで依存してしまって大丈夫なのだろうかとこちらが心配になるほど、次々に飛び出すセリフは支離滅裂。もともとあった脚本はまるでなかったことにされてしまって、いくらなんでも役者の暴走がすぎる。これ以上の自虐があるだろうか。もはや作者は「作品」を作る気があるのかどうかすら疑わしい。それはただ、自ら破壊を辿る作業のようにも見える。

 

前編後編を通し、観客は、舞台とは本来こうあるべきであるという今まで信じていたものが覆されてどうしたらいいのかわからない気持ちになる。果たしてこれは「作品」と呼べるのか。こんな舞台が存在していいのか。今自分たちは一体何を見せられているのか。

この舞台で多くの観客が与えられたものは、「不確かさの中に何を見ようとするのかという自分自身への問い」であったと思う。未熟で、未完成で、不確かなものを目の当たりにしたとき人はそれをどのように受け止めるのか。「あなた自身はどうしますか?」その問いを与えられた観客は、観客というよりもむしろ当事者の立場になって自らアクションを起こすアクターへと転換させられる。この不確かな世の中、社会の中にそれぞれのストーリーを求められ、あぶり出されていくような不思議な感覚。これがイーアイオーの本当の狙いなのか、目の前の舞台でリアルに生み出されていく感情や言動に釘付けになっているうちに、観客はただの観客ではいられなくなる。

 

私はこの公演を2日連続で鑑賞し、初日は自分の中に沸き上がった感情をうまく説明することができず混乱したままに終わったが、2日目の前半のラストには涙を流し、後半のラストには手を叩いて大笑いしていた。作品の完成度とは関係なく、何でもありのこの公演は面白かった。何よりも人間が面白かった。舞台の上に立つ人間を、これほど面白いと感じたのはそうそうないことだ。

そもそも彼女たちは舞台の前提を覆すところからはじまり、強行突破でこの日を迎えている。失うものは何もない。カーテンコールで彼女たちを目にしたとき、その佇まいからは、絶望から光る希望のようなものが感じられた。そこには「ただ、舞台をやりたかった」という純粋な思いが強烈に存在し、同時に「私はただ、ここに生きていたいのだ。不器用ながらも存在したいのだ」という無骨なメッセージが溢れ出ていた。不器用な人間が不器用なままに、これ以上ないほど潔く舞台に立っていた。その姿は私にとって希望だった。

舞台とは本来、演劇とは本来そもそも皆が信じている「本来」とは一体何か。こんがらがった頭で本公演を眺めたとき、これはむしろ「舞台作品」ではなく、「舞台」という場所で「演劇」というモチーフを使って作られた現代アートであるようにも思えてくる。アートとはまさに人間の生命の爆発であり、何らかの形で人々に希望を与えるものだ。形式がどうであれ、受け手の心を揺さぶった方の勝ち。そう思うと、舞台や演劇に慣れ親しんだ者が、それらの「本来の形」にこだわっていることがむしろ窮屈で展望のない視点であるようにも思える。イーアイオーが今後どのように舞台畑を引っ掻き回し、盛り上げていくのかとても楽しみだ。

 

 

 

 

英 衿子さんレポート(ハナさくラボ)

 

演劇においての演出ってなんだろう…というのは永遠の課題だと思います。(私は演出の役割は「見る」ことだと思っているのですが、少し漠然としていますし、ここではそう述べるに留めます)。人によってこの答えは違うと思いますが、演劇をやったことがある人ならば、「演出は必須!」と答えることでは一致するでしょう。
しかし、では、演出がいなければ(もしくは“演出”的なことをなにもしなければ)劇は劇にならないのでしょうか。役者が舞台にいて、言葉を発し行動するだけでそれは劇ではないのか…?このたびのイーアイオーさんの作品で、そんなことを考えました。

前半は、自作を演じてくれる役者がいないので一人で芝居・ダンスをする劇作者。後半は、台本があるだけで演出家のいない状態の2人の役者の即興のエスカレートぶり。前半は、たしかに主人公は演出家なのだけど、その独り舞台に外から演出をつけているわけではない。とすれば2作とも“演出家”は不在で進む舞台でした。

芸術に完成はないとよく言われますが、舞台は、本番に上がることが一応の“完成”です。そこには見ているお客さんがいる。この舞台を見るお客さんは、見ていると自然に「これは、どこまで行くのか…どう終わるのか…」を、舞台上の出演者と共有するようになってゆきます。台本が完成されているお芝居には「最後にこうなるのを見せたい」という作り手の意識があります。が、それをリアルタイムで微妙〜にまさぐりながら、大胆かつおずおずと進んで行く、そんな舞台。

実は、それこそが演出なんだなと、腑に落ちます。「落とし所を見つける、そして決める」こと。切り取られた日常や人の営みに始まりも終わりもない。意味もない(もしくは無数にある)。それを「落とし所」なる人為的なものを付け加えるのが演出。この舞台を見るお客さんは「これ、どうするのかな」と考えてしまうこと、そのものが演出体験なのです。が、それも途中で投げ出そう!という気にさせてしまうのは後半の役者の暴走。あーもう、なんか面白いしよく分からないし可愛いからいいや!演出放棄すらも体験してしまう人、多かったのではと思います。
これは劇なのか、劇ではないのか、その問いそのものも放棄したい、そんな稀有な体験ができる舞台だったと思います。

 

『役者放棄計画~別れの曲  / 役者暴走計画~別れの曲』

観劇三昧で配信中です。

https://v2.kan-geki.com/theatre/site/197

 

演劇ボード

https://engeki.jp/2018/05/20/%E6%82%AA%E5%A4%A2%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E6%8F%8F%E3%81%8F2%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%80%82%E3%80%8C%E3%82%82/

 

 

 

 ホームに戻る

 

作品紹介のページに行く

山の物語 のページに行く

演出放棄計画 のページに行く

大地~巡る生 のページに行く

役者放棄計画~別れの曲 のページに行く

変わるもの変わらないもの のページに行く

everyday prformance~この舞台ができるまで  のページに行く

役者暴走計画~別れの曲 のページに行く

役者放棄計画~ 別れの曲 / 役者暴走計画~別れの曲のページに行く

タクシーを待ちながらのページに行く

 

ミッションインエントランスのページに行く

 

 

お知らせのページに行く

イーアイオーについてのページに行く

お問い合わせのページに行く

日記のページに行く

レポートのページに行く